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『簗田寺薪能』子どもたちへ日本の伝統文化の原体験を。

『簗田寺薪能』子どもたちへ日本の伝統文化の原体験を。

簗田寺薪能 2024 パンフレット

能楽の時代別変遷

簗田寺薪能 2024年5月17日

この日は朝から快晴で、とても気持ちの良い天候に恵まれました。
朝の9時に最初にお越しいただいたお客様は千葉県鴨川市からの日本伝統文化財の宮大工の技術を受け継ぐ親方で、お能を観るのも初めてとのことでした。同じ日本伝統文化であるお能の世界観と、お寺離れが進む中、若い方々が集まる簗田寺の取り組みへの興味もあり、夕刻の薪能までの間、境内にあるまといでのお香体験やCONZEN COFFEEで珈琲を飲みながら訪れた方々と語らい、有意義な時間を過ごされていました。お寺と人との関係性が非常に近いことに感心されていました。

さて、この簗田寺薪能の開催が決まったのは、開催日のわずか2ヶ月半前の3月1日のことです。なにしろ薪能を観たこともない私たちが初めての薪能主催、それも県や市・財団レベルで、協賛会社も数社で開催するようなものをプライベートで開催し、さらに無料で子どもたちのために開催しようとしているわけですから、能舞台はもちろんのこと、その準備や開催費は大変なものになります。それも、たった1日、わずか数時間の開催のために行うというわけですから。

簗田寺薪能の開催のご支援・ご協力を頂くにあたって、簗田寺の皆さま、スポンサーさま、能楽師の先生、お箏演奏者の方々に最初にお伝えしたのは、「たった一人、たった一人の子どもでいいですから、その子どもに日本伝統文化の原体験を伝えることができれば、その記憶が将来、日本の大きな財産になります。いつの日か、その子が大人になった時、日本文化の素晴らしさを多くの人々に伝えてくれるかもしれない。そして、その子どもが次世代に伝える担い手となり、日本の文化を未来へと繋げてくれることを期待しています」ということでした。この願いに、皆さまが大変強く共感し、それぞれの立場からご協力いただき賛同してくださったことで、開催することができました。

薪能の翌朝、薪能をご覧になられた簗田寺近くに住む方にお話を伺う機会がありました。父親が能演目「敦盛」が大好きで、自分に「敦子」という名前を付けてくれたとのこと。今まで大人になっても、能も見たこともないし、「敦盛」がどんな演目かも知らなかったけれど、こんなに近くで見られたこと、そのすばらしさに改めて自分の名前の由来を知って大変喜ばれていました。
日本の方々でも、世界最古の伝統芸能であり、日本が世界に誇る能楽、薪能を観たことがない方がたくさんいらっしゃいます。
かつて、庶民の娯楽であった古の頃のように薪能が身近なものになってくれたらうれしいです。

箏・尺八演奏


簗田寺薪能


簗田寺薪能


簗田寺薪能

午後4時、瀧歌由衣率いる邦楽ユニット「咲音さくね」による箏と尺八の演奏が簗田寺の書院で始まりました。特別にアレンジされた美しい音楽が境内に響き渡り、来場者はその魅力に浸りました。
同時に、図書室では山﨑智子お箏教室の中高生が子どもたちにお箏の触れ方と簡単な演奏体験を提供するワークショップを開催。普段は間近で見る機会が少ないお箏に触れ、参加者は大変貴重な体験をしました。

薪能の解説


簗田寺薪能


簗田寺薪能


簗田寺薪能

夕方6時30分、能舞台に先立ち、簗田寺ご住職から簗田寺薪能の趣旨と京都の上賀茂神社から届いた双葉葵の苗木のご紹介があり、簗田寺の寺紋「まる結双葉葵紋ゆいふたばあおいもん」についてのご説明をいただきました。そして、道着・袴を着た小さなお子さまと宿坊泰全の当主による篝火かがりびへの「火入れ式」が行われました。続いて、観世流シテ方能楽師の武田祥照先生による薪能の解説が行われました。能楽の歴史や演目の背景、見どころについての詳しい説明がありました。特に、お能が初めての方にも大変わかりやすい説明で、観客は薪能を一層楽しむための知識を深めることができました。

四方祓いの儀


簗田寺薪能


簗田寺薪能


簗田寺薪能

続いて、千夜賀風の剣士たちによる「四方祓しほうばらいの」が行われました。簗田寺の特別な地理的配置「四神相応しじんそうおうの地」にちなみ、東西南北のそれぞれの方角を清める儀式です。この儀式により、良い「気」を集め、薪能が始まる前に場を清め、整えます。
能の舞が披露されるひのき舞台のために、釘などの金物を使わない日本伝統の木組きぐみ工法「井桁接いげたつぎ」によって作られたひのき試斬台しざんだいに、畳表たたみおもて一畳巻が立てられ、それぞれの剣士が日本古来の製鉄技術、鍛冶製法で作られた日本刀で斬ります。
四方祓いの後、この畳表一畳巻が斬られた試斬台は、それぞれ能舞台の四隅の「笛柱」「ワキ柱」「目付柱」「シテ柱」として用いられます。特に「目付柱」は、能面を着けた演者が狭い視界の中で目標物を必要とするために重要な目印となります。そのため、剣士は目付柱として演者が見える高さに正確に斬ります。

薪能「敦盛」


簗田寺薪能


簗田寺薪能


簗田寺薪能

簗田寺薪能


簗田寺薪能


簗田寺薪能

簗田寺薪能


簗田寺薪能


簗田寺薪能

簗田寺薪能


簗田寺薪能


簗田寺薪能

簗田寺薪能


簗田寺薪能


簗田寺薪能

簗田寺薪能


簗田寺薪能


簗田寺薪能

簗田寺の歴史的背景を踏まえ、初回の演目として平家を題材にした「敦盛」が上演されました。この演目の選定は、簗田寺が平家一門、特に平貞盛と深い繋がりがある地であることを考慮したものです。主演には能楽師観世流シテ方の武田宗典先生をお招きしました。武田宗典先生は、能楽師としての豊かな経験に基づき、全国各地で能楽講座「うたいサロン」を開催し、年間50~60回の普及講座を実施しています。これらの講座では、能の解説と実演を通じて、初心者から経験者まで、幅広い層の人々に能楽の魅力を伝えています。このような背景から、武田宗典先生の能楽への深い理解と普及への熱意は、この簗田寺薪能プロジェクトの目的と深く共鳴しています。
また、「能」を大成させた室町時代の世阿弥は観世流の宗家であり、曹洞宗に帰依していました。同じ曹洞宗に属する簗田寺で薪能を行うことは、この歴史的かつ文化的な繋がりを深く感じさせるものであり、プロジェクトにさらなる意味を加えました。

お香の演出


簗田寺薪能


簗田寺薪能


簗田寺薪能

江戸初期のファッションリーダーであり、香道を女性に広めた東福門院(徳川家康の孫娘:徳川和子)の精神を反映して、簗田寺薪能ではお香スタイリスト(株式会社FLOWer)によるお香の演出が行われました。
簗田寺には東福門院のご位牌が安置されており、彼女の存在は今も深く息づいています。江戸幕府の公式史書である『徳川実紀』には、東福門院が生まれた際、江戸市中に異香いきょう馥郁ふくいくとただよったという記述があり、東京全体に神がかり的な良い香りが漂ったとされています。

薪能、箏曲・尺八演奏、お箏ワークショップの各テーマに合わせてアレンジされた日本伝統の香りが美しい香炉ともに提供されました。この香炉は、日本伝統工芸の技術を用いて作られており、その精巧な作りと美しさが参加者の目を引きました。各空間の雰囲気やテーマに調和し、訪れる人々が五感全てでこの薪能を深く感じられるよう、体験が一層豊かに彩られました。

終わりに

当日は500名近くの方々がお越し頂きました。能舞台からわずか1m足らずの至近距離から食い入るように観ていた子どもたちの姿がとても印象的でした。そして、薪能のすぐ後に感動とお礼をわざわざ伝えに来てくださった学生の皆さま方。この日が一生の思い出となり、いつの日か、彼らが日本文化を伝える担い手となり、日本の文化を未来へと繋げてくれることを願って。


簗田寺薪能

簗田寺薪能2024パンフレット

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