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『千夜賀風薪能』風は香り、焔は祈り ― 阿佐ヶ谷神明宮

『千夜賀風薪能』風は香り、焔は祈り ― 阿佐ヶ谷神明宮

千夜賀風薪能 2025 パンフレット

能楽の時代別変遷

千夜賀風薪能 2025年9月28日

2025年9月28日(日)、阿佐ヶ谷神明宮にて、千夜賀風の名を冠した初の「千夜賀風薪能せんやがふうたきぎのう」を主催・開催いたしました。
昨年、古刹・簗田寺にて初開催した「簗田寺薪能りょうでんじたきぎのう」に続き、今回は由緒ある神社・阿佐ヶ谷神明宮にて薪能を奉じる運びとなりました。
かつて能は、庶民の暮らしにも溶け込み、神社仏閣の境内で、日々の祈りとともに親しまれていた芸能でもあります。
県や市が主催する格式ある芸術祭とは一線を画し、あえて民間の手で、もっと身近に――。
日常の中にこそ「能」の世界が還ってきてほしいという願いを込めて、本公演を企画・主催いたしました。
秋分を過ぎた夕刻、神明宮の静謐な神域にて、篝火がゆらめき、舞台に命が宿っていきます。
箏の響きとともに始まるひととき。茶の香、墨の息吹、そして御刀の輝き。
ふるきにならい、今にめぐる」――千夜賀風が大切にしているこの理念のもと、さまざまな芸術が一夜に集い、時空を超えて響き合いました。
このレポートでは、当日のプログラムの様子とともに、私たちがこの薪能でお伝えしたかった「本質」にも触れながら、その軌跡を記録してまいります。

清談茶会 - 孔人の茶、風のこころ


千夜賀風薪能


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千夜賀風薪能

受付開始とともに、本殿脇の空間では、自然農藝家・忌部孔人いんべ みちひと氏による「清談茶会」が開かれました。
流派や形式にとらわれず、自然と精神性を重んじる孔人氏の一服は、訪れる人々の内側から静かに場の空気を整えてゆきます。
茶席には、神事にも用いられる真菰まこもや麻布がしつらえられ、産土の恵みとともに、茶の湯を通じて見えぬ神とつながる祈りの在り方が、そこに静かに立ち現れていました。
実は、当日の朝、準備のために早く現地入りした折のこと。まだ人影もまばらな神明殿の茶席に足を踏み入れると、孔人氏は準備の只中でありながらも、まるですべてを見通していたかのような落ち着いた佇まいで、そっと一服のお茶を差し出してくださいました。
障子越しに朝の光が差し込む中でいただいたその一服は、思いがけない朝茶となり、心が洗われるような清々しさをもたらしてくれました。それは、ただ茶を供すということに留まらず、場の気配と人の心を汲みとり、自然と交わるようにして生まれるおもてなしの姿。孔人氏の茶に宿る精神、その真髄がまさにここにあると感じられる一瞬でした。
この場で交わされる言葉、香、所作のすべてが、自然と人、神と人とを結ぶ「風のこころ」となり、薪能という一夜の幕開けにふさわしい、清らかな静寂を届けてくれました。

箏のしらべ体験と演奏 − 十色の響き


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「箏アンサンブル十色」による体験と演奏が行われ、はじめて箏に触れる参加者が「さくらさくら」を奏でる姿は微笑ましく、会場にはやわらかな音の輪が広がりました。
この日、体験に訪れた多くの方々にとって、箏を実際に目の前で見て、手に触れ、音を鳴らすという機会はまさに特別なものでした。箏は全長180cm近くにもなる長大な楽器で、日常的に出会えるものではありません。特に小さなお子さまや海外からのお客様にとっては、音を鳴らすだけで笑顔がこぼれる、そんな時間となりました。
そして「触れる」ことをきっかけに、「聴く」ことへの関心も深まります。箏の体験を経てから、プロ奏者による演奏に耳を傾けた方々からは、「音が違って聞こえる」「同じ楽器とは思えない」「もっと聴いてみたい」といった感想が多く寄せられました。
もし、この日の出会いがきっかけとなり、箏の演奏を始める方が現れたり、その魅力を誰かに伝えてくれる方が一人でも増えたなら――それこそが、文化が生き続ける一歩になると、私たちは信じています。

また、この箏の時間にそっと寄り添うように、舞台には香司の方が香炉を静かに置き、お香を焚いてくださいました。
ほのかにたなびく香煙が箏の音に重なり、空間に静けさと奥行きを与えていきます。
実際に、香りに気づかれたお客様もいらっしゃいました。「ふと気づくと香りが変わっていた」「音と香りの余韻が心に残った」といった声も聞かれ、演奏とともに、香りが午後から夕暮れへと移ろう様にお気づきになられた方もいらしたようです。
この香りは、観客の皆さまだけでなく、舞台に立つ演奏者の方々にも、和の空気の中で心静かに音を奏でていただきたいという願いを込めてご用意したものでした。
視覚や聴覚だけでなく、香りを通して五感すべてで感じる時間。箏の響きとともに、日本の文化の豊かさがそっと心に届くような、そんなひとときとなりました。

四方祓いの儀 - 刀を祓い、心を調える


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薪能の開幕に先立ち、千夜賀風は「四方祓しほうばらいの」を奉納いたしました。
神前にて静かに御刀を抜き、東・西・南・北の四方へと祓い清めるこの儀式は、東西南北それぞれの方角を清めることで、良き「気」を呼び込み、薪能が始まる前に場を整えるために行われました。刀を振るうことは単なる武技の披露ではなく、舞台を清らかにし、心を調え、祈りをもってこの一夜を始めるための所作として、静かに執り行われました。
冒頭では、約400年前の薙刀──「巴形薙刀」と「静形薙刀」──が披露され、それぞれ巴御前と静御前にちなんだ名称を持つことから、後に上演された能『巴』との深い精神的な共鳴を感じさせました。さらに、龍空剣士による真剣での試斬、そして青龍・白虎・朱雀・玄武に対応した四人の剣士による四神の祓いが厳かに執り行われ、場の気が凛と張り詰めていきました。
しかし――
私たちが本当にご覧いただきたかったのは、演武の華やかさではありません。
試斬を終えたあと、武士が必ず行ってきた御刀と薙刀の「手入れ」にこそ、日本人の心の本質が宿っているのです。
刀は、命を断つための道具であると同時に、己の魂を映す鏡。使ったまま放置すれば錆び、朽ちていきます。
だからこそ、感謝とともに丁寧に磨き、油を引き、大切に大切に扱う――
その姿にこそ、「和の武」の精神が息づいています。
この手入れに用いるのが、古来より伝わる丁子ちょうじあぶら
丁子ちょうじは香り高く、古より魔除けや薬としても重宝されてきた貴重な植物であり、その芳香には、心を静め、空間を清める力があるとされています。
実はこの日、丁子の家紋(丸に違い丁子紋)をまとった剣士がいたことに、お気づきになりましたでしょうか。
祓いと演武のあと、御刀を拭い、丁子油を引くその静謐なひとときに、日本人の美意識と精神性が深く息づいております。
千夜賀風の抜刀体験は、ただ刀を振るうだけのものではありません。
祈り、礼を重んじ、心を調える――
武士が大切にしてきた「美しき所作」を通して、日本人の精神文化を体感していただく時間です。
もし、あの夜の香り、音、祈りの感触を心に残していただけたなら、ぜひ私たちの場にもお越しください。
丁子油の静かな芳香とともに、刀と向き合うひとときをご一緒できますことを、心よりお待ち申し上げております。

琵琶の演奏「敦盛」- 響きの鎮魂


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舞台に座したのは、鶴田流薩摩琵琶奏者・馬場一嘉氏。
秋の夜、篝火のゆらめきとともに張りつめた静寂の中、琵琶の音がひとすじ、闇を裂くように響き渡ります。
語られたのは、平家物語の一節――「敦盛」。
一ノ谷の戦いで討たれた若武者・平敦盛の最期が、低く力強い語りと、木の撥が生む深い音色にのせて紡がれ、観客の胸に静かに沁みていきました。
琵琶は、はるか昔より、魂の記憶を呼び覚ます響きをもって伝えられてきました。
この夜、その音はまるで、若武者が最後に吹いた笛のこだまに応えるかのように、月明かりと篝火に包まれた能舞台の空間に、静かに息づいていました。

仕舞『高砂』『経正』- 若き舞手が描く、寿ぎと無常の風景


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能の一節を紋付袴で舞う「仕舞」では、衣装や面を用いずとも、所作と声、気配の中に幽玄の美が滲み出る──そんな能の本質に触れる時間となりました。
最初に舞われたのは、祝言曲の代表格『高砂』。
住吉明神が現れ、悪しきを祓い、寿福を招き、千秋万歳を言祝ぐこの舞では、小早川泰輝氏が清らかな所作と真摯な気迫で舞台を引き締めました。若き舞手らしい真面目な一歩一歩の運びに、未来を託したくなるような清々しさが漂っていました。
続いて舞われた『経正』では、戦に散った平家の若武者・経正の霊が登場します。
修羅道に堕ち、戦に苦しむさまを描いたこの舞は、儚さと悲哀に満ちた一曲。
小早川康充氏が、亡霊でありながらも気品を湛えた立ち姿と静かな悲しみを滲ませ、印象的な余韻を残しました。
地頭をつとめた武田文志氏の謡も、舞の情景に深みを添え、舞台に静謐な緊張感をもたらしました。
若き舞手二人による清らかな仕舞は、薪能の幕開けにふさわしい静けさと凛とした気を観客に届けるひとときとなりました。

狂言「仏師」- 変装と信心が交差する笑い


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詐欺師が仏になりすます!? 都で繰り広げられる笑劇
仏像を買い求めようと、素朴な信仰心から都へとやってきた田舎の男。
そこへ目をつけたのが、都に棲む詐欺師――「すっぱ」と呼ばれる悪党です。自らを仏師と偽り、翌日には仏像を作って渡すと請け負いますが、なんと翌朝、彼は自分自身が仏像に変装して登場するという奇策に出ます。
田舎者の素朴ながらも細やかな注文に、動けばバレる、だが応えねば怪しまれる……という絶妙な板挟みに陥る詐欺師の姿が、滑稽に、そしてどこか愛らしく描かれます。
入れ替わり、化かし合いの妙が光る、狂言ならではの笑いの一曲。
演じるのは、大蔵流狂言方のお二人――シテ(すっぱ・仏師)に大蔵基誠(おおくら・もとなり)氏、アド(田舎者)に大藏康誠(おおくら・やすなり)氏。息の合ったやりとりが、秋の夜の舞台を賑わせました。

能『巴(ともえ)』- 女武者の執心と別離、夜の能舞台に甦るもの


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この夜の薪能の掉尾を飾ったのは、女武者・巴御前の哀しみと誇りを描いた名曲『巴』でした。
舞台は、琵琶湖のほとり・江州粟津ヶ原。
かつて木曽義仲が壮絶な最期を遂げたこの地に、義仲の家臣にして愛人とも伝わる女武者・巴御前が、幽霊となって現れます。
最大の心残りは、女であるがゆえに、最期まで主君に殉じることを許されなかったこと。巴の霊はその無念を抱いたまま、この世を彷徨っていました。
深手を負った義仲から戦場を離れるよう命じられた場面、長刀を手に敵軍に奮戦する姿、そして主君の形見を手に木曽へ落ち延びていくその様が、舞台上で力強く、そして哀切に描かれました。
凛とした佇まいと、胸に迫る情念。
女として、武者として、ただ義のために生き抜いた巴の魂が、薪の灯に浮かび上がった一夜でした。

終わりに

このたびの薪能の開催にあたり、由緒正しき神域・阿佐ヶ谷神明宮様にて、その尊き舞台の火を灯させていただきましたこと、あらためて心より御礼申し上げます。
準備段階から当日に至るまで、神職・社務所の皆さまには、常に温かく、そして細やかなお心配りを賜りましたこと、言葉に尽くせぬほどありがたく存じております。
また、私たちのささやかな奉納の志に対し、身に余るご信任とともに、かけがえのない授かりものとも申すべき“あるお心遣い”を頂戴しましたこと、その深いお導きの一つひとつが、私たちの心に静かに沁み入り、今後の歩みにおける大きな力となりました。

当日は、500名近くの皆様にお運びいただき、静謐なる神域にともる薪の灯のもと、多くの方々とこのひとときを分かち合えたことは、私たちにとって何よりの喜びでございます。

まだ道半ばではございますが、これからも日本の美しき精神文化を、礼と祈りをもって次代へとつなぐべく、真摯に歩みを重ねてまいります。
阿佐ヶ谷神明宮様のご厚情に、あらためて心より感謝申し上げます。


千夜賀風薪能

簗田寺薪能2025パンフレット


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